2011年6月30日木曜日

千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館


 秋田市の中心部にある、桜とつつじの名所でもある都市公園、千秋公園の入口に、お堀を前景にし、周囲の木々の緑に囲まれるように佇む平野政吉美術館(秋田県立美術館)がある。この景観を愛する秋田市民、秋田県民は多い。現秋田県立美術館を建てる際、場所は、当時の小畑勇二郎秋田県知事、川口大助秋田市長によって決められている。恒久的な場所として、秋田市の一等地である現地が提供されたと推察される。美術館建設にあたっては、総工費2億3千万円のうち、県費のほか、平野政吉の私財5000万円、県民の寄付金2000万円、国庫補助金1500万円が充てられている。平野政吉の思いとともに県民の思いも込められ、官民一体となって建設された、秋田県民念願の美術館でもあった。
 設計は、日建設計工務株式会社(現株式会社日建設計)があたり、社員の設計士が図面を引いたとのことだが、その際、平野政吉から要望が出されていたことは間違いないと思われる。事実、平野政吉が語っていたように、建物は正倉院を模した高床式になっており、屋根には平野が藤田嗣治から直接助言された、採光がとれる丸窓が付いている。
 秋田県立美術館(平野政吉美術館)の移転理由に、老朽化し今後10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要だからとあったが、今年2月17日には、知事が「現美術館の再活用も可能だ」と発言している。真の理由であったのか疑わしい。耐震診断もせず、現在の耐震技術では東京都台東区の国立西洋美術館や神奈川県箱根町のポーラ美術館が採用している建物の揺れを軽減させる「免震構造」という技術もあるが、一切検討することもなく、移転の宣伝には多額の県費が使われている。
この移転計画は、始めから平野美術館の移転、跡地には他の施設、という目論見があった計画だったと思われる。
 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、40数年間、秋田市の観光名所として秋田市民、秋田県民に親しまれてきた美術館である。千秋公園の緑に溶け込み、都市公園、千秋公園の役割にも機能している。これからも秋田の象徴の一つとして、藤田嗣治から助言を受けた現在の佇まいのまま、世界に誇れる美術館として後世に伝えていくべきである。



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2011年6月19日日曜日

平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品


 平野政吉美術館に収蔵されている作品は、すべて平野政吉が生涯をかけ、財力の全てを費やして収集した作品である。藤田嗣治作品は101点あり、これだけの数の藤田作品を収蔵している美術館は世界でも稀であるとのことだ。 
 この平野政吉美術館から、藤田嗣治作品だけを切り離し、移設させようとする計画がある。進めている人たちは、世界的に著名な建築家、安藤忠雄氏設計の建物と藤田作品で街の賑わいに繋げたいと主張しているようだが、安藤忠雄氏設計の美術館は全国に相当多数ある。主なものだけで、香川県直島地中美術館、広島県尾道市立美術館、岡山県成羽町美術館、兵庫県立美術館、京都府大山崎山荘美術館、長野県小海町高原美術館、調布市東京アートミュージアム、国際芸術センター青森などがある。近年は中東にも進出している。(アブダビ海洋博物館、バーレーン遺跡博物館) 昨年も山梨県北社市に美術館(光の美術館)が造られている。全国的に見た場合、話題性があるわけでも、希少価値があるわけでもない。また、美術館を賑わいと結びつける発想が貧困なものに思える。
 さらに、秋田で計画されている建物は、2階部分屋上にプールのような水槽を造るとのことだ。安藤氏の作品によく見られる「水」を題材としたものであり、藤田嗣治作品との関連性は全く見受けられない。

 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、藤田嗣治と物心両面の深い交友があった、稀有な秋田の先人、平野政吉が「秋田」の地に収集した作品を残すために、多くの困難を乗り越え、29年の歳月を費やし完成させた美術館である。そして、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が最後に制作したランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる藤田の理念と尊い思いが込められている美術館である。 
 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)と藤田嗣治作品は一体であり、この美術館こそが唯一の平野コレクション、藤田嗣治作品の保存、展示、公開の場所といえる。これからもこの平野政吉美術館を秋田市民、秋田県民、国内や世界中の藤田嗣治ファンや美術を愛好する人々が、藤田嗣治作品を鑑賞する場として、世界に誇れる秋田の文化遺産として、末永く後世に伝えていくべきである。



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